「レンソォーイス!」バスの兄ちゃんの叫ぶ声で目が覚めた。
夜行バスは、思いのほか早く到着したようだ。
目をこすりながら外に出る。荷物を確保し、時計を見る。

午前4時。あたりはまだ真っ暗だ。

しまった。宿をおさえていない。
着いたら探そうと思っていたが、この時間じゃあ歩き回りたくない。
するとこんな時間なのに張り込んでいた客引きが声をかけてくれた。
いつもは正直うざいと思ってしまうけどこういう時は助かる、ご苦労さまです。

話を聞くと条件は悪くないし怪しい臭いもしない。
横を向くと美和もうなずいている。
5分後。僕らは案内されたまあ可も不可も無い宿で
改めて眠りについた。

 

*

麗しのリオデジャネイロを発った僕らは、
ブラジル北東部「ブラジルで最も自然がキレイ」と聞くバイーア州へ向かった。
当初考えていたアマゾンやパンタナルを差し置いてここに決めたのは
フロリパのディエゴ&エリーザの強いオススメがあったから。
州都サルバドールを経てやってきたのがここ、レンソイスだった。

*

 

昼前、ノックの音で本日2度目の起床。

ドアをあけると宿を紹介してくれた客引きの男と、
かなり背の小さい若い男が立っていた。

「Hi my name is Diego, but everyone calls me DODO」

客引きの男の息子だと言う彼は、ブラジルではかなり珍しい流暢な英語で自己紹介した。
レンソイスは近隣の山や川、滝へ行く拠点の町で、
来る観光客はほぼ100%ツアーを手配する。
お父さんのつかまえた客へ息子がツアーの提案、
顧客単価アップして売り上げ最大化、うん正しいと思う。

これが、僕らとドドの出会い。
若干19歳。身長140センチの、僕らのツアーガイドだ。

翌日、ドドが別につかまえていた1組の夫婦とともに、
近隣の見所をまる1日かけて巡るツアーに出かけた。

その1日で、僕は完全にこの男にほれ込んでしまった。

英語とポルトガル語を使い分けながら、
とにっかく喋るしゃべる、笑う笑う。
僕らにだけでなく、道中に会う他のツーリストから
道ですれ違うトラック運転手まで、
常に笑顔で話しかけて大爆笑でハイタッチもしくは親指グー。
車内もトレッキング中もツアーはまさにドド劇場、
大満足の1日ツアーとなった。

すごいエネルギー、それとハッピーなパワー。
一見不憫に思ってしまう小さな身体とのコントラストもあり、
やけにグっとくるものに見えた。

さらに翌日。彼に興味を持った僕らは、
予定が無いと言う彼の家に遊びに行くことにした。

驚いたことに親とは一緒に暮らしておらず、
町の中心地にひとりで家を借りていた。
キレイ好きらしく掃除を続けるドドに、彼のルーツを聞いてみた。


全部で15平米ほどの小さな家、家賃は友達価格で月7,500円と。


関係無いけどお隣のおじ様の笑顔が素敵だった

人口5,500人。この小さな町レンソイスに生まれ育った彼は、
学校を終えると町のツアー会社で働き始めたが、
給料が悪く生活ができないと、1年前から個人でガイドを始めたと言う。
競合となるツアー会社が町にあふれている中
個人で、しかも19歳の若さで生きていく彼を、
素直にすごいと思った。

父親の話はするが、母親の話は一度もしなかった。
ただ、彼が第二のお母さんと呼ぶイギリス人女性がいたらしく、
彼は「今の自分があるのは彼女のおかげ」と何度か言っていた。

その女性は有名なバックパッカー宿のオウナーで、
10年ほど前、学校へ行かないストリートキッズ達のために
無料で教育を提供するCASA GRANDEという施設を立ち上げたと言う。
そして、ドドは施設の一期生だったそうだ。
9歳から14歳まで6年間、彼はそこで学んだと言う。

そう聞いてじっとしてはいられない。
その午後、僕らはさっそくCASA GRANDEを訪ねることにした。


授業では3人の子供たちが近くに開催されるお祭りの絵を書いていた

オウナーの女性は本国へ帰国中で不在だったが、
ボランティアの3人に話を聞いてみた。

 

国の提供する公立学校は教員のレベルや熱意も低く、
子供たちがまっとうな教育を受けられていないケースが多いので、
ドロップアウトした子を中心にヘルプするのがCASA GRANDEのミッションとのこと。

成長を続け世界の経済大国の仲間入りをしているブラジルだが、
行政サービスの地方格差は大きな問題になっていると言う。
(特に教育、特にバイーアは「テリブル」だと。。。)
物価も高いしインドやアフリカのような極端な貧困を目にする事も無い
ブラジルだったが、その現実を垣間見た気がした。

ドドはCASA GRANDEの描くロールモデル(模範生)なのか聞いてみた。
「a little bit over the top (やりすぎ)」
と笑いながらのYESだったが、こういった施設から巣立った子供たちが、
立派な若者に成長し観光客を連れて来ているというこの図に、
なんだか幸せな気持ちになった。

ちなみに彼らが「彼こそロールモデル」と答えた男性がいたので、
その夜さっそく会いにいく事にした。

コキーニョ26歳。
若くからカポエラで才能を発揮して映画にまで出たという彼は、
この小さな町ではちょとしたスターのようだ。
その彼はアメリカに行く話もあったが地元に残る決断をし、
現在は子供たちのためにカポエラ教室を開いて
次なるコキーニョを育てるために奮闘していると言う。


稽古は夜7時から、町の一角の小さな道場で行われていた

準備体操から組み手のようなものまで、
礼に始まり礼に終わった1時間半ほどのクラスは、
しっかりオーガナイズされ、気持ちの入った素晴らしいものだった。

厳しいんだけど優しさがあり、愛があって。
途中泣き出してしまう5-6歳くらいの小さな子から
中学生くらいの子までいたが、全員が心底楽しんでいて、
そして先生のことが大好きな事が伝わってきた。

気づいたら目頭が熱くなっていた。
僕らともう1人生徒の親と思しき人以外誰も見ていない所で、
子供たちの未来のために汗を流す1人の青年の姿に。

 

 

*

地球の裏側の、山奥にある、小さな小さな町で出会った
2人の輝ける青年たち。
日本の常識とはかけはなれた世界を生きる彼らだけれど、
その才能や人格は本当に素晴らしいものだと思えた。

ドドに将来を聞くとヨーロッパに行きたいと言っていた。
おうそうだ行け!世界に羽ばたいてくれ!と思うけれど、
同時にそれは本当に難しい事だという現実を僕はこの旅で学んできた。
色んな国で色んな人と会って来たけど、
海外に行ったことがある人は、驚くほど少ない。
僕らが2年で世界一周分の費用を貯めたという話をすると、
「僕らの国では100年かかってもできない」と言われた事もある。

例えばドドは1回ツアーを組めて利益は5000円がいいところだろう。
ツアーは週に2-3回がいいところだろうし、オフシーズンもある。
ヨーロッパへの航空券を稼ぐのがかなり大変な事は間違いない。

彼らのようなHOPEとなる若者に出会い、
僕は晴れ晴れしい気持ちと共に、
マラウィで感じたようなやるせなさも感じていた。

でも彼らは確かに光を放っていた。
ブラジルの小さな小さな町で。
だからせめてこのブログに書きたいと思ったのだと思う。