マンサニーヨからグアダラハラへ移動するバスの中、
なぜか放映してたのは、ハンナ・モンタナのライブビデオだった。


中高年の乗客ばかりの車内で、なぜ、
アメリカの女子小中学生のカリスマを??
最初きょとん、とし、そのうちバカバカしくなって耳栓をして寝ようとしたら
ん、まてよ、これはヒントなのか?と思えてきた。

この、私の白けた気持ちの中に
何かがあるんじゃないかと。

 


そういえばイランの文房具屋にあったのも
ハンナ・モンタナとハイスクールミュージカルのグッズだった。
売れるから置いているのだろう。
あんなに政治的にはアメリカに対抗している国で、だ。

 


ハンナ・モンタナが熱唱する社内、窓からこんな風景を眺めながら、私は考えていた。

ずっと、南米の半年で感じてきた言葉にならない「何か」について。

 

旅を始めてからずっと私は、無意識に「面白いもの」と「つまらない」ものを
自分の中でより分けてきたんじゃないかと思う。
面白いものは写真に撮り、つまらないものは見ぬふりをしてきた。
たとえば、このバスターミナルは「つまらないもの」で、これまで写真に撮らなかった類。

でも意外に、南米に入ってから「つまらないもの」のボリュームが多くて
ちょっと萎えていたことを思い出した。

それであえて、今まで撮らなかった「つまらないもの」を
写真に撮ってみよう、と思った。

 

そしたら見えてきた。

それは、コカコーラであり、バーガーキングであり、

ピザハットであり、スタバであり、ウォルマートであった。
味のある街並みや、ローカルフードの屋台、民族衣装の刺繍の美しさの中に
割って入ってくる、見慣れたロゴたちだった。

 

 

チリやコロンビアの、ばかでかいスーパーマーケットで見た光景を思い出す。
すごく太ったおばさんが、すごく太った息子たちを連れ
すごくでかいカートに、肉のかたまりやらケーキやら特大冷凍ピザやら、
日本ではありえない規格のポテトチップの袋やコーラの3Lボトルを何本も放り込む姿。
失礼だけど、おえって気持ち悪くなった。
ペルーの太ったおばさんが市場で山のようにじゃがいもを買っていても
気持ち悪くなるどころが、それは素敵な光景なのに。

これってなんなんだろう。

 


今まで一度も写真に撮らなかった服屋さんを撮ってみる。
そうだ。南米に入って、ずーっとこんな服屋でいっぱいだった。
男性は意味不明な英文が入ってるもしくは有名スポーツブランド海賊版のTシャツ。
女性は伸びる陳腐な素材のキャミやカットソー。スパンコールやラメ入りが多かった。
そして、男女ともに、ジーンズ。それも普通じゃない、スタッズや刺繍が施されたもの。
私の感覚で言うとそれはヤンキー方面というか、まあ、趣味じゃない方向。
なんでみんなみんなこっちへ行くんだろって勝手に残念に思う自分がいた。


子供たちのバッグはもう全員こっち。ディズニーやTVアニメのキャラを勝手にプリントした
派手なバッグ。ほんと、お金のある家庭の子は全員持ってたんじゃないかな。


アクセサリーはそうそう。こういう感じの店が町中にあった。中国人経営も多く。
何度か入ってみたけど、東京から来た妙齢女子にはとても無理なセンスと質感だった。

 

 

なんなんだろう。
この、よそ者の私が勝手に抱く
がっかりした感情は。

 

今まで遠く感じ思い憧れてきた夢の大陸、中南米は
確かに素晴らしい、今まで見たことない文化の宝庫だった。
そして想像以上に、見慣れたものも多かった。
それらのものをつらなく思い、見なかったことにしたい願望は、
つまりは自分と異なるものを見たい、その国のオリジナルを見たいという
旅行者の悪あがきなんだろうなと思う。

でも旅を続け、たくさんの町を見てくる中で、
中南米が、ある方向、少なくとも私にとってつまらなくなる方向へ
大陸全体が進んでいるような、大きな流れのようなものを感じて、
「ちぇー」っと言いたいような気分になった。

5年後、10年後のこの大陸は、どうなっているだろう。
国それぞれの持っていた文化は次第に薄れ、
やがて皆が似たような国になってしまうんじゃないかとさえ思えた。

 

見識の浅さを恐れずに言うなら、
その「似たような国」という方向性は、
大きくいうと、「アメリカのような豊かな暮らし」のような気がする。
(細かく言うと、食や暮らし方、エンタメはアメリカ、電化製品や車は日本や韓国、
衣料やプラスチックの生活用品は中国ってとこだろうか。)
ヨーロッパを向いている一部の富裕層を除いて、ほぼ皆が
こういう方向性で進んでいるように、私には見えた。

 

学者の人は、これをグローバリゼーションと呼ぶのかな。

そして私は考えこんでしまう。

「文化」って、なんだろう。
「豊かさ」って、なんなんだろう。

 


ボリビアの山岳都市クスコにいたおばちゃんと少年。
南米の人が皆こういう格好してたら私は満足なんだろうか?
でも実際彼女らは観光客に写真を撮らせチップをもらうために着ていた。


ペルーやボリビアにいたおばちゃんは普段着がこれだった。
でも彼女の娘たちの世代でこの格好をしている子を見たことはなかった。


仲良くなったアクセサリー売り、ファビオは、やっぱりTシャツだけが残念だった。

 

別にいいじゃん。
という気持ちの中に、確かにある
ひとりよがりな落胆をもう一度俯瞰してみる。

きっと、古くからの伝統文化が明らかに消えていっていることが
悲しいんだろう。というのが、1つ。

これはほんとに勝手な話なんだけど、
南米には素敵な織物や刺繍の文化があるのに、
なんでミッキーやらカーズやらのてかてかした素材のリュックを持つの?と。
私が土産で買ったような、カラフルな手織りのバッグをなぜ使わないの?と正直思う。
それに、インドの女性にサリーが似合うように、
南米人の濃い顔とふくよかな身体に合うのは
スパンコール入りのピタっとしたTシャツじゃなく、
民族っぽいワンピースやふんわりしたスカートのような気がする。
味のある色のストールや、豊富な国産の革を使ったブーツもいいと思うんだ。

分かってる。こんなの、
私たち日本人が「どうして着物を着ないんだ!」と
外国人に悲しまれてるようなもので、そんなこと言われたら
「ちょちょ待ってよ。洋服の方が楽なんよ。好きな服着させてよ」って言いたくなると思う。
それと同じで、余計なお世話、ってやつだ。

服だけじゃない。
アルゼンチンのブエノスアイレスで、
若い世代がタンゴを聴きもしないし踊れもしない、
あんな素晴らしい文化がすっかりお年寄りのものになってしまっていることを
すごくもったいなく思ったけど、同じこと。
私たちの世代の多くは、外国に非難されたとしても
歌舞伎や能や落語に足を運ばない。日本舞踊や太鼓を習おうとは思わない。
番傘職人や宮大工に弟子入りする決意はできない。

 

そしてもう1つ思う。
これは、私たちも通ってきた道で、
(もっというと今まだその道の中に居て、)
先輩として、「気持ちは分かるけど、こっちに来ないほうがいいよ」と
思っている節があるんじゃないかと。

振り返れば、私たち日本人は
今でこそ世界各地から自分の好きなものを取り入れ、
同時に日本文化も見直す傾向もあるけど、一時期は全員がアメリカを向いて、憧れていた。
私も中学時代、NBAと、スラムダンク(というのは誇らしいが)に憧れ
だぼだぼのアメカジTシャツにハイカットのバッシュを履き、キャップを後ろ向きにかぶって
得意げにしていたことを思い出す(恥ずかしい!)。
私の背が低くぼてっとした体系にはずいぶん似合わなかったことと思うが、
たとえ当のアメリカ人にダサいと笑われようと、私はあとローラースケートと
ウォークマンがほしかったわけで、マックシェイクを飲みたかったわけで、
できれば髪が金髪になればと願ってさえいた(サイアク)。

 

こう考えると、結論は
しょーーがないじゃん。になる。

 

生き馬の目を抜くような市場競争がおこっても、
大型チェーンが市場や商店街をつぶしても、
外国資本の産業が国内企業を弱らせても、
伝統工芸が担い手なく廃れていっても、
国民はその国で、その地域で、今宣伝され流行っている形の
格好よさ、豊かさを求めて進むのだと。

 

メキシコで大繁盛するコンビニチェーンで、お気に入りのトマトジュース
「V8」(アメリカ産)を買いながら、そんなことをあれこれ考えていた。

 

まあ、私がとやかく言える話じゃない。
私にできるのは、自分の中にあるものが何かをちゃんと見つめ、
自分の国を愛することだけだ。 

 

きっと中南米の国々も、
日本や他の国と同じように、いろんなものを吸収していろんなものが生まれて、
消えるものは消えて残るものは残って、見失ったり立ち止まったりしながら、
やがてそれぞれの「らしさ」が出来上がっていくんだろうな。
いや、今のこの変化しつつある状態も、それはそれでオリジナルなのかもしれないな。 

 

幸い、まだまだ、
中南米各国の独自の文化やオリジナリティは消えてなくならない、どころか余りある。
世界に注目されるような新しいアートや音楽も次々に生まれている。
これからもっともっと、世界を彩り鮮やかに楽しくしてほしいな。
と、すいぶん勝手に、考えをまとめる。

 

(とりあえず私は、帰国したら
着物を奇麗に着られるように、丁寧に和食を作れるように、一から勉強しよう、と決める。)

 

グアダラハラで泊まっていたのは、
コロニアル時代からの古い洋館をリノベしたゲストハウスだった。

高い天井にメキシコMIXの壁色、
欧米っぽいPOPなインテリアに、アフリカを思わせる置物の数々。
共用スペースの壁に描かれた大きな木の、茂らせた葉っぱには
各国からの旅行者がそれぞれの言語でメッセージを書き込んでいた。

もう、世界は、
それぞれ、で、1つ。

なんかそんなことを表しているように思えた。

 

どーんと大きな音がしてベランダに出た。

メキシコ最終日の夜。

立派な花火がすぐ頭の上であがっていた。

 

そんなこんなで、
明日は飛行機に乗る日。

あとは、大きなイベントが2つ控えているのみ。

つまり、私たち夫婦二人、の旅は
終わろうとしていた。

なんの実感もないままに。

 

(MIWA)