9月17〜27日、インドに行きます。 ご一緒できるかた、ご連絡ください。
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なんで、こんなことになっているのだろう?
自分でも、そう思う。
“インドの、貧しい村に、学校を建てる”
いかにもな、キラキラした響き。
カンボジアに学校を立てる青春映画もあった。
そういう話は世の中に溢れている。
どうしても斜めにしか見れなかったし、
寄付とかボランティアには抵抗があった。
ジコマンじゃないの?なんで?
もっと言えば「ウソくさい」そう感じていた。
今でも、ある意味そうかもしれない。
でも。
先月、インドのある村に、
僕らは学校を建ててしまった。
なんで、こんなことになったのか。
「ウソくさい」社会貢献を、なぜ。
批判もあると思うけど、
迷い葛藤含め、
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そもそもの始まりは、
2010年に初めてブッダガヤを訪れたことだった。
友人から5000円を託されていた。
世界各国で5000円の価値はどれくらいか?
何ができるか試してきなよ、という企画モノの原資。
近くの学校に通い始め、縁がつながり、
支援とも言えないような、
小さな小さなプロジェクトをやることになった。
詳しくは散々書いてきたから割愛するけど、
現地の人と共に動いた1ヶ月は、
間違いなく僕らの人生を大きく変えていく
そのスタート地点になった。
それから、それは僕らの旅のスタイルになった。
旅の行く先々で、現地の人とともに、
できる限りの小さな貢献プロジェクトを実施する。
ネパールで、アフリカのマラウィで、南米はチリで。
現地の人を巻き込んで、ものを作ったり、売ったり。
楽しかった。泣けた。学んだ。
最高だった。
(詳しくはソーシャルトラベルって本で書いたので読んでね)
■
2年かけて世界一周して、さあ帰国ってときに、
美和がもう一度インドにいこうと言い出した。
恋焦がれた日本を飛び越し世界一周とちょっと、
旅の最後にもう1度インドはブッダガヤを訪れた。
そのときにはアイデアがあった。
僕ら2人だけではなく、
ブログを見てくれる人も誘ってみようって。
「ソーシャルトラベル合宿」と名付けたその場には、
5名の馬鹿者もとい若者たちが参加してくれた。
合宿のルールはシンプルだ。
現地の人たちをいっぱい僕らが紹介するから、
課題と解決策を見つけ、
何かプロジェクトを企画、そして実行しよう。
期間はたったの1週間。
無理やりの、無茶ぶりだった。
でも1週間後、あるチームは小さな村に外国人を呼び込み
フェスティバルを開催し、
ほかのチームはなんと、
村に教育が必要だと訴えるインド人の若者らとともに、
学校をつくっていた。
学校と言っても、木の下に黒板を立て掛けて教える寺子屋みたいなものだ。
先生の給料が月に3000円という話を聞いて、
じゃあ半年分の給料を出すからやってみようぜって。
それだけだった。
現地に何度も通いニーズを聞いて、
近隣の村から先生を探し出し面接して。
学校と呼べるか分からない何かが、そこに生まれたんだ。
一つ前提を共有しておかなくてはならない。
これは僕らも一番最初は知らなかったことだが
観光地でもあるブッダガヤでは、「学校詐欺」が横行している。
現地の人たちが観光客からお金をもらうため、
慈善団体(=NGOと呼ぶ)をつくり、学校を建てようともちかけるのだ。
その「NGO」はブッダガヤ周辺だけで何百という数あると言う。
お金だけもらって学校が建たないケースもあるし、
建家はあるけど、誰も何も使っていないケースもある。
もちろん、ちゃんと運営する所も沢山あるけれど。
また、これは「詐欺」ではないと思うけれど、
観光客をガイドが学校へ連れて行き、
そこで寄付がされると、ガイドに手数料が入ることも多い。
インド一貧しいと言われるビハール州では
公立の教育環境が非常に悪く、
民間の有志による学校がいくつもある。
ファンドレイズの手法として定着している。
だから僕らは慎重になった。
いきなり学校を建てるなんて絶対にしない。
ちゃんと運営されず放置される建物なんてまっぴらだ。
だから木の下の学校から始めたんだ。
つくった学校の運営を見守りながら、
それから毎年、無茶ぶりソーシャルトラベル合宿を続けて来た。
ブログをさぼってきたけど、4回やった。
(実はもう番外編としてフィリピンでもやったよ)
看板つくったり、先生の教育したり、ゴミの穴掘ったり、運動会したり、
色色やった。必死にやった。
で、やっぱり楽しかった。
■
現地で学校を取り仕切るのは、
5年前からずっと現地で僕らを受け入れている
ラジェッシュ・クマール24歳。
インドの田舎では職を見つけるのは大変だ。
デリーやムンバイに行けば別のようだが、
そうでない若者たちは、たいていガイドを生業とする。
旅行会社に勤務、ではない。
個人で、観光客を見つけてはナンパして、
バイクの後ろに載せて1日数千円を稼ぐ。
2010年、初めてブッダガヤを訪れた際に出会った。
僕らが関わり始めていた学校の卒業生として、
バイクに載せてもらったり通訳してもらったり。
まだその時は、大学生だった。
やはりNGOの無料小学校で教育を受けた彼は、
自身も人に役立つ「ソーシャルワーカーになりたい」
と夢を語ってくれた。
町でガイドを名乗る多くの輩から感じるいかがわしさとは違う
素直で実直な雰囲気を醸し出す彼を、僕らも徐々に信頼していった。
木の下学校ができて何年かして、
ラジェッシュは学校の建物が必要だと言うようになった。
このままでは雨の日に授業ができない、
借りてる建物ではいつ出ていけと言われるか分からない、と。
毎年自分の目でも見てきたけど、学校は順調だった。
生徒数は100をゆうに越え、
先生のやる気や、授業のクオリティも上がっている。
村人の感謝の気持ちは言葉をこえて伝わってきた。
でも、100万円かかると言う。
ごめん無理だと伝えた。
そんなお金はないし、踏み切れない自分がいた。
木の下でも十分じゃないかと思った。
■
2014年、4回目の合宿は、無理にプロジェクトをするのではなく、
じっくり現地を見てみよう。
落ち着いて今後のことを考えよう、そんな場にした。
初年度に来て、村初の「フェス」を企画してくれたウメ。
3年目に来て独特のキャラで人気者となったオフジ。
初参加で飛び込んでくれたしっかりもののナオ。
それと木の下学校の発案者であり、
いつも僕の右腕になってくれる頼りになる男、タク。
学校に行って、楽しそうに遊ぶ子どもたちに会って、
学校のディレクターとして誇らしげな
ラジェッシュの顔を見た。
2人の先生が住んでいると言う隣の村にも
初めて行ってみた。
家族にも会って、歓迎してもらった。
美しい村だった。
1週間を過ごしたとき、明確な理由がある訳ではないけど、
なんとなく心は決まっていた。
もう3年。そろそろ学校を建ててあげたい、と。
学校を建てることの意味は、
ちゃんとした場所が確保されるということだけではない。
一番思ったのは、ラジェッシュのことだ。
最初の年に紹介された彼の友人たちの多くは
デリーに行って就職や勉強をしていた。
村のしきたりで二十歳そこらでお見合い結婚をし
地元に残った彼が、取り残されたように
感じているのは明確だった。
(左から、ラヴィ、ビジェイ、ジュラン、そしてラジェッシュ)
あれは2年目にブッダガヤに来た時のこと。
町を歩いていたら、ちょっと太って口ひげをはやし、
カードゲームをしているラジェッシュを見かけた。
忘れもしない。
目が死んでいて、ゴロツキ的な空気を放っていた、
その1年前に会ったキラキラしていた男とは
まるで別人のラジェッシュの姿を。
そんな彼と始めたのが、この学校プロジェクトだった。
彼はみるみる変わっていった。と、思う。
学校校舎と言う目に見える何かは、
ソーシャルワーカーを志す彼にとって、
明確な成果になる。
何より、周囲がそう認識する。
(インドの村で、見た目の威力は想像を超える。
労働力にもなる子供を学校に通わせることを
拒否する親は多いが、ユニフォームがあるだけで、
喜んで行かせるように変わり泣いて喜んだりする)
僕らは、3年間がんばってきた彼の努力に報いたかった。
そして、彼の人生に大きく関わって来た身として、
ずるずると中途半端な形を続けたくないという思いもあった。
ラジェッシュと一生関わっていこう。
学校建設は、僕らの覚悟でもあったんだ。
■
建設資金の100万円をどう集めるかに議論はあった。
クラウドファンディングをしようとか、
寄付を募るブログを書こうとか。
でも、…できなかった。
見ず知らずの人にお願いするだけの大義を、
僕はもっていなかった。
結局、既に現地に行って、
ラジェッシュを直接知っている
合宿参加者たちの善意で
100万円が集まることになった。
みんなには本当に、感謝してる。 ありがとう。
学校建設を決めたとき、もう1つ企画が生まれた。
ラジェッシュを、日本に連れてこよう。
ソーシャルワーカーとして彼が成長するためには、
寄付元となる日本などの先進国を体験することは
非常に意味があるだろうと思った。
航空券と滞在費でざっくり20万。
これも仲間たちと出し合う形で実現させた。
今年の春、桜の季節に成田に降り立ったラジェッシュ。
東京→名古屋→大阪京都→福岡と、
全国に散らばるソーシャルトラベル合宿参加者たち
を訪ねる2週間の旅は、
きっと彼の人生に何かを残すものだったと信じてる。
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ラジェッシュの帰国後、5月からは本格的に建設がスタートした。
現地に貼り付いてくれたオフジ(元ゼネコン勤務)からは、
日々Facebookのグループページに写真とレポートが送られて来た。
過酷そうで、でもなんか笑える現地感満載の写真を眺めながら、
完成の時を、そして自らの足でその教室に踏み入れることを
楽しみにしてきた。
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2015年9月17日〜27日。
僕らは5回目となるソーシャルトラベル合宿”Feel India”を開催する。
ビザはアライバルでいけるので、
チケットだけ取れば大丈夫、まだあります。
2週間後ですが、もし興味ある方、
来れる方、いたら是非ご一緒しましょう。
連絡ください。
これも批判がありそうだけど、6ヶ月の赤ちゃんを置いて、
僕らは夫婦2人で行きます。これはとっても悩んだんだけどね。
めちゃめちゃ可愛がってて大切にしている愛息子と離れてでも
行かなきゃ思える何かが、インドには、ここには、あるのサ!
(世界中まわった後に行ったら美しすぎて驚嘆したのがこの投稿)
■
最後に。
冒頭の問い、なんでこんなことになったのか?
経緯は書いた通りだけど、思うことを。
誤解を恐れずに言うけど、書くけど、
子どもたちを救いたかったんじゃないんだ。
最高の旅がしたかった。
ラジェッシュという男に惚れてしまった。
それは僕の「ジコマン」かもしれない。
でも、それはラジェッシュを思う気持ちや、
村の人たちのためになれたら嬉しいという気持ちを、
1ミリも否定するものではない。
「ジコマン」と、「善意(またの名を愛)」は、
思いっきり、両立しているんだ。
現地のためって何なのか。
根本解決になっているのか。
ジコマンでいいのか。
NGOやNPOなどの人たちは、死ぬほど向き合って来た問いのはず。
そういう人たちからは、浅はかな僕らの考え方に
否定的な意見をもらったこともある。
でもね、きっとその誰も否定できない「正しさ」が重いんだよ。
重いから、腰があがらず、おっくうで遠ざかっていく。
僕は正しさより、無邪気で小さな一歩を信じる。
面白そうだから、ワクワクしたから、この町にもうちょっと居たいから、
ほっとけない奴だったから、イケメンだったから…etc.
きっかけはそんなんだって、いいと思うんだ。
間違えたら、ごめんなさいと謝って取り返すだけの
誠意とガッツは必要だけどね。
だから僕らは、インドに行く。インドに学校を建てるんだ。
みんな、一緒にインド、行こうよ!