「今年の正月休みは青も連れてヨーロッパに行こう」。
僕らの旅の予定はいつだって思いつきから始まり、いいねと盛り上がったら最後、大した検証もなくなんとなく決まっていく。厳密には、美和は色々考えるけど、いいよどうせ考えたって予想以上のことが起こるんだから、と僕が聞く耳を持たず雰囲気で進めるんだけど。
旅程は、今年はまだ10ヶ月の青がいるからゆっくりしようと、半月で3都市をまわることにした。親友たちが赴任しているドイツのデュッセルドルフとイギリスのロンドンをイン・アウトの場所としてそれぞれ3泊。後はどうしても再訪したかったスペインのサンセバスチャンが旅のメインだ。
フランス南部からスペイン北部に続く大西洋沿いの一帯を「バスク地方」と言う。独自の言語と文化を持つバスク人達のくに。その中心都市のひとつサンセバスチャンは、人口たったの16万人ながらミシュラン星つきレストランが人口比/面積比で世界で一番多く、”世界一の美食の町”として有名だ。一昨年に一人で訪問して、食だけに留まらず自然や文化の魅力に惚れ込み、今度は家族で来ようと心に決めていた。
そんなサンセバスチャン&バスクの町で出会ったラブリーなバディ達との日々を振り返ります。
町が素晴らしいのはもちろんだけど、旅の醍醐味はやっぱり人との出会いだ。今回はとにかく現地の人にいっぱい会いたいと事前から準備をしていた甲斐があって、素敵な人たちと数多く会うことができた。
まず一人目が、クララ。
以前試しに使ってみたら素晴らしかったボランティアガイドサービス「greeters network」に連絡をしてつながった彼女とは、到着翌朝にアポを入れていた。
英語教師の彼女は、海外での経験が豊富で一時期日本にもいたことがあると言う。見てよこの笑顔、一緒にいる時間の半分くらいずっと笑ってた気がする。海外経験豊富な人特有の、圧倒的な包容力で僕らを受け入れてくれた。口癖は「Lovely」。100回くらいラブリーと連呼しながら、自分の誇りの町を僕らに紹介してくれた。
彼女には、観光的なところよりも現地の人の生活を見たいと言うことをリクエストした。するとまず連れていってもらったのは、「Cristina Enea Park」という公園。ここに限らずいたるところに憩いの場があるのがサンセバスチャンの大きな魅力だ。
あとは穴場のスポット、タバカレラ(Tabakalera)。
タバコ工場跡地がカルチャーセンターになってるんだけど、なんだかカッコいいしそこから見下ろす町が最強に気持ちいい。確か町として7階以上のビルを建てられないレギュレーションがあるのだが、広い空と歴史を感じる町並み、そして川と海(奥には山)。最高。
そんなこんなで初日の半日散歩は終わったのだが、嬉しいのが彼女がまた会おうと何度も言ってくれたこと。これは社交辞令じゃないなと踏んだ僕らは待ってましたとばかりにアポを入れた。「次はピンチョスバー巡りをしよう」。YES!!
向かったのは、有名な旧市街ではなく彼女の地元近くでもある隣りのGros地区。彼女のお気に入りのお店3軒をはしご。どれもローカルフィーリングと、勿論料理が最高だった(料理は別投稿でまとめます)。ちなみに下写真で、店員さんがボトルあげすぎっ!なのは、シードラという地リンゴ酒の流儀なのでご安心を。
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続いて、ジュネさん。
僕がサンセバスチャンに興味を持ったのは、高城剛さんの「人口18万の街がなぜ美食世界一になれたのか」という本がきっかけだった。その本の最後に協力者として彼女の名前を見つけ、2年前に来たときにいきなりお会いしたい!と突撃してからのご縁だ。今度は嫁子どもも連れて来ちゃいましたと再度突撃させて頂いた。
現地に住んで20年近いという山口純子さん(現地では通称ジュネさん)は、バスク地方のコーディネーターとして引っ張りだこの人。お得意は「食」で、Facebookでうまいもんを発信し続ける「バスク美食倶楽部」とかまじヤバいのでお腹減ってる人は見ない方がいい。
今回は地元で人気の炭火焼屋Aratzに連れて行ってもらった。
シェフは、僕のやってる「食べる通信」について(彼女の助けを借りながら)紹介すると、嬉しいことに非常に興味を持ってくれた。マグロ号を持っていったところ、写真とあと漁場解説のイラストページに特にご関心。漁師の何を書いてるんだ、マグロはどう食べるんだ、いろいろ質問してくれた。Aratzでは自身で農場を持っていたりするけど、農家や漁師といった生産者と食べる人の乖離については深くうなずいてくれ、生産者のストーリーとともに食べものを届けるという「食べる通信」のコンセプトは海外でもウケる手応えの一つとなった。
ちなみにさすがタクシーの運転手もあそこは良いと力説していた人気店。料理が最強に美味かったことは言うまでもない。バスクでは定番のメインの一品チュレタというステーキで、岩塩で頂く赤肉の味わいと香ばしさに悶絶した。
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そして、イニャーキ。
Airbnbのホストなんだけど、出会った瞬間からなんかいい予感はしていた。部屋紹介なのに1時間近く話し込んでのスタート。ちなみにAntiguoという地区の見晴らしの良い物件で、ホストだけでなく部屋もまじ素晴らしかった。
その後もオススメを聞いたり相談したりとメッセでやり取りを続けていたのだが、そんな彼が、是非紹介したいと力説してくれたのがこの男。ジュラン。サンセバスチャンではどんなことをしたいの?と聞かれたので、「サーフィンと美食倶楽部(サンセバスチャンの文化である料理コミュニティ)と港町の漁師に会いたい」と伝えたらパーフェクトガイがいると紹介されたのだ。
彼は「Aupa Hi(アウパ・イー。バスク語でがんばれとか元気ーとかの意)」というプライベートツアーのサービスを始めたばかり。俺も一緒に行くし絶対楽しいからと言うので、有料ツアーだけどまあいいかとお願いしてみることに。これがまた大正解だった。
朝、まちの中で待ち合わせ、サーフボードをバンに乗せていざ出発!
サンセバスチャンを出て30分も走るとこんな感じ。
海岸沿いに点在する、山と海と人口数千人規模の小さな町。
3人で波チェック。青ちんはお父さんよりヒゲの濃いい人たちに夢中のご様子。
念願のひさびサーフィンは、サンセバスチャンの隣りの港町ゲタリアの先にあるローカルポイント。冬のバスクはビッグウェーブが多いけど、なんとかアタマサイズでできるだろうと入水。乗ってるのがイニャーキで、見てるのが僕。パワフルウェーブに完全打ちのめされた。。。けど、奥に見える山と町が美しくて、贅沢な波待ちだった。
どんなに乗れなくても打ちのめされても、海からあがった後の幸せ感は間違いない。後ろで武藤敬司やってるジュランはとにかくずっとこの調子で、僕の大好物のナチュラルボーンハッピーガイ。(写真はbyイニャーキ)
その後、ゲタリアに戻ってアンチョビ工場見にいったり、サンセバスチャン市内に戻って美食倶楽部で一緒に料理つくって呑んだり、フルフルの一日を過ごした。
そしてこれまた嬉しいことに、ジュランとは翌日も市内でサーフィンを一緒にしようと言うことになった。チャリで颯爽と現れたジュランは何やらビルの鍵を開けて地下へ。彼が仲間達と共にシェアするアパートの一室、ボードやウェットが並ぶサーファーたちのロッカールームだった。ローカルサーファーの日常を垣間みた気がして嬉しかった。
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そして最後の出会いが、このイケすぎカップル。イバンとエスティ。
日本で下調べをしている時に「green spain +」という情報満載のブログ(日本語)を発見し、ダメ元でコンタクトしてみたところ、自分は現地にいないけど友達紹介するよと(見ず知らずのヒゲになんて優しい!!)。そして紹介いただいたのがこの2人。「大の日本好きだから良くしてくれると思いますよ〜」っていう以上の情報はなし。
事前にメッセをしていると、ピンチョスバー巡りはどうだいと提案をもらう。やっぱこの町ではまずはピンチョスなんだね。Why Not!?
彼らのセレクトは旧市街。上のクララもそうだったけど、みんなそれぞれお気に入りとストーリーがあって楽しい。あそこのエビと、あそこのフォアグラと、あそこのミニステーキが、、、という垂涎のピンチョスレポートは別投稿にゆずります。
昼に会ってピンチョスバーを4軒めぐって、港の方でコーヒー飲もうともう1軒行き(そこではコーヒーと何故かベイリーズを飲んだ)、更にうちにおいでよと勢いでアパートに誘って夕飯まで一緒することになった。イバンは英語いけるけど、エスティはほぼ喋らない。僕らのスペイン語も相当なカタコト。そんな中で、何時間も何をしゃべってたのだろうと自分でも思う。思い出されるのは、一つひとつのピンチョスにオーバーリアクション気味に感動する僕らを笑って見る彼ら。青を囲んで笑いあったこと。とにかく幸せに包まれていたこと。
そしてそして、なんと帰り際に驚きのオファー。明後日は、サンセバスチャンから1時間半ほど行った所にあるエスティの実家に帰るけど一緒に来ないかって。ええええーまじかさすがに難易度高いかと一瞬ひるんだけど、こういうの断ったこと無い厚顔が取り柄の僕らは、1日迷った末にレンタカーを予約。急遽バスク海岸を行くプチトリップが決定した。
ちなみに何も知らず借りた車は当たり前のようにマニュアル車。しかも日本のくせでGPSを付け忘れ、携帯のデータ通信もなぜかダメでgoogle mapも見れない中、道の細いサンセバスチャン市内を運転するのは相当な冒険だった。。。
サンセバスチャンをなんとか出発し、たどり着いたのはベルメオという漁業の町だった。お祭りの前日ということで賑わいを見せていた旧市街で、港に停泊する船の数々が壮観。美しい町だなあと思った。
そこで待っていたのは2人の愛息子のダレン。やんちゃ真っ盛りの3歳のエネルギーに最初はたじろぎ気味だった青も、途中から大興奮に。そして子どもたちが遊んでいる間、家族で遅めの夕飯を。昔は船のメカニックとして世界中をまわっていたというお父さんはひょうきんもので、英語はしゃべらないけどジェスチャーがいちいち可笑しかった。キッチンの脇のテーブルに大人6人ぎゅうぎゅうに座って食べたチキン。幸せの味がした。
さて今回なんのお呼ばれだったかと言うと、「東方三賢人の日」という、スペインでクリスマス以上の一番のめでたい日だった。夜、部屋に靴をおいて寝ると、三賢人がやってきてプレゼントを置いていってくれるというもので、言うたらサンタクロースのスペイン版。写真はビフォア&アフター。朝起きるととにかく死ぬ程プレゼントが置いてあって、子どもにだけでなく大人にもみんなで凄まじい量を贈り合うという素敵なカルチャーを目の当たりにした。
1人につきプレゼントが3つも4つもある。自分の体よりも大きなプレゼントのラッピングをワシャワシャ破いて喜ぶダレン少年の後ろで、料理好きのお父さんは新しい電子レンジに喜んでいる。そしてなんと青や僕らにもプレゼントが!青へのプレゼントの中身はドデカい汽車と飛行機のおもちゃ。旅人だから荷物にならないものを、、、なんて気にしないそういう感じが大好きなんだよ!!
そして朝食を食べ、さらに隣りのサーフタウンへ足を伸ばした後、再会を誓ってイバン達とはお別れした。最後のコーヒーを飲む美和とエスティ。なんか女性同士親密になってた。なんだかんだでまる3日くらい一緒にいたから、言葉を超えた関係が生まれてたんだと思う。
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思わぬ出会いと、そこから始まる小さな冒険。
旅が好きなのは、そんな予定調和の正反対にある偶然がもたらす喜怒哀楽があるからだと強く思う。僕らは以前世界一周をしていたとき、その偶然に巻き込まれていく自分たちの旅を「転がる石のようだった」と表現した。
でもそれは、時間に余裕があるあても無い旅だったから、旅先がインドやアフリカだったからだった。期間限定の、ヨーロッパの旅で、そんなものは望めない。そう思っていた。
でも今回、また石が転がるような、なんとも言えない興奮があった。出会いのきっかけとなる「ほんのちょっとの事前準備」があれば、石は転がる(かもしれない)んだと言うこの発見は、僕らにとってとても大きかった。
だから旅はやめられないよね。
次はどこで、どんな旅をしよう。